「先生、どうして社会に出てこんな数式使わないのにやるんですか?」~社会に出て跳び箱やらないけど体育では教えるのだよ~
数学の授業で少し難しい数式などを教えていると
必ずこういう生徒がいる。
みなさんも一度は思ったことないでしょうか?
「別に、社会に出てこんな数式使うわけじゃないのに、なんで勉強しなくちゃいけないの?」
確かに。笑
社会人になって、連立方程式を解いている人はあまりいない。
サイン・コサイン・タンジェントを活用している営業マンを私は知らない。笑
そういう意味では、生徒の言う通りかもしれません。
が、問題はそこではないのです。
見方を変えて。
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●じゃあ、社会に出て跳び箱をやるわけじゃないのに、体育で跳び箱を教えるのはなんで?
●水泳選手になりたいわけじゃないのに、水泳の時間があるのは何故?
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こういう見方をすると、少しは理解いただけるだろうか。
学校で跳び箱を教えるのは、もちろん、将来、生徒の中から体操選手になる人がいるかもしれない、という潜在能力を引き出す目的もあります。
が、根本的な理由は、「健康的な身体作り」「運動能力の向上」そういうのが目的です。
まあ、説明しなくてもだいたいわかりますね。
それでは本題です。
先ほどの件。
「別に、社会に出てこんな数式使うわけじゃないのに、なんで勉強しなくちゃいけないの?」
1つの目的は、もちろん、生徒の中から数学者が出るかもしれないので、そういう潜在能力を引き出す、一通り経験させる、というのがあります。
が、算数・数学の根本的な目的は「論理的思考力の育成」です。
映画「男はつらいよ」で寅さんと悩める男の子との有名なやりとりがあります。
満男 「伯父さん、質問してもいいか?」
寅 「あまり難しいことは聞くなよ。」
満男 「大学へ行くのは何のためかな。」
寅 「決まっているでしょう。これは勉強するためです。」
満男 「じゃ、何のために勉強すんのかな。」
寅 「つまり、あれだよ。ほら、人間長い間生きてりゃいろんなことにぶつかるだろう、なあ?
そんな時に俺みたいに勉強してない奴は、振ったさいころの出た目で決めるとか、
その時の気分で決めるしかしょうがない。
ところが勉強した奴は、自分の頭できちんと筋道をたてて、
こういく時はどうしたらいいかなと考えることができるんだ。
だから、みんな大学へ行くんじゃねえか。だろ?」
これこそ、論理的思考力です。
国語を勉強するのは、言語力・理解力・会話など伝達能力を養うため。
社会を勉強するのは、生きていく上で必要な世の中の仕組みを知っておくため
歴史を勉強するのは、過去から学び、それを将来につなげるため
理科を勉強するのは、自分も含め、生き物や自然のことを知り、時にはそれで身を守るため
などなど。
それぞれ「根本にある理由」というのがあるのです。
それを自分の中で少しでも理解してもらえれば、と願っております。